文化なるもの
高校生の時だったと思うんですが、校外実習か何かで文楽の鑑賞会があったのですね。日本橋にある国立文楽劇場って場所でさ、いわゆる人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)ってやつですよ
古典芸能なんてかったるいなー、点呼終わったらフケちまおう♪などと考えていた生意気なガキでありましたが、とりあえずちょっとだけ見ていくかと着席する素直さも持ち合わせておりましたw
演目などはまったく覚えておりません。たしか古典と創作(新作?)をやっていたような記憶があります。ぶっちゃけ古典の方は、ガイドを読まなければ何やってるのか理解不能でした
が、しかし、創作の方は、おそらく高校生レベルでも理解できるように構成されてたんでしょうが、なかなか面白くて見入ってしまったのです。結局最後まで鑑賞会に残っていたという、実に素直な生徒の話でした(笑
実はその後も、2、3回ぐらいではあるものの、個人的に文楽劇場に足を運んでおります。そのうち古典についても、よくわかんねーけど、なんとなく面白い。そんな感じになったのですわ
この感覚は音楽にも共通してるのです
音楽に対して興味の無い人間が、ちょっとロックやらブルースでも聴いてみるかと、初っ端から泥臭いデルタブルースを聴いたとしたら、「なにこれ?」「なんか古くさい」「退屈。面白くない」となるでしょう
しかし、ブルースから派生した(強い影響を受けている)音楽、たとえばローリングストーンズやレッドツェッペリンなどを入口にすると、「古くさいけど、まぁいいんじゃない?」となる率が高くなります(経験則)
さらに、ストーンズやツェッペリンに影響を受けた現代のロックバンドのヒット曲ならば「お、これエエやん!聴きやすいやん!」となる人も増えることでしょう
そして、その流れを逆に、つまり現代のヒット曲→ストーンズ等の曲→オールドブルースという順に耳を慣らしていくと、あらあら不思議。最初は「なにこれ?」と思うてたデルタブルースも、なぜかカッコよく感じたりすることがあるのです
もちろん、人によって音楽的志向や好みは違いますので、すべての人にこのパターンが当てはまるわけではありません。ただ、志向や好み以前に、その音楽を聴く「耳」が出来ていないことも往々にしてあるのです
まぁどの分野でもそうですが、古典に接するには、こちら側もその準備をしとかなくちゃならんってのはありますね。準備が面倒くさいので古典を避ける、というのはアリだと思いますがw
そんな面倒くさいプロセスは端折って、いますぐオレに理解させろ!というのは、さすがにちょっとムリがあります。大衆にいますぐピンとこないものは意味がない、そんなの文化じゃない、と断ずるのもおかしな話です
などと書きますと、「古いものが好きな連中は妙にお高くとまってやがる」という批判を受けるようですが(笑
そういうことではありませんよ。時代の流れというものはあれど、現時点の大衆が興味ないからと言って、それが文化として意味が無いというのは違いますよってことね
わしは底辺で細々と活動している音楽屋ではありますが、文化というものを刹那的にとらえるのは大きな間違いであると考えています。いまダメなものはダメ、ではないのです。ものによっては長い時間軸で見なければならないこともあるからです
逆に、現在の大衆に受け入れられているもののうち、果たしてどれだけのものが後世に「文化」として継承されていくのでしょうか。いまOKなものだけを残すことが文化なのでしょうか?
冒頭に挙げた文楽ですと、その歴史的経緯・歴史的価値というものがあります。それを権威づけて、その上にあぐらをかくというのはダメですが、少なくともン十年前の時点で「創作」をやっており、しかもそれを一介の高校生が「面白い」と感じたのですから、古いままで凝り固まってるわけではないと思います
それとともに、発祥の地にあった先人達が、後世の子らに遺そうと、連綿と紡いでくれた流れがあります。芸能(ゲーノー界という意味ではない芸能)なんてものは弱っちぃものだからさ、時代時代でパトロンに依存しなきゃならんかったのよ
昔ならば、いわゆる旦那衆という存在がありまして、芸事や芸能への支援を「金持ちならば当たり前のこと」としてやってきたのですね。大阪商人は儲からないことには興味がない、なんて印象がありますが、そうではなかったのです
しかし戦後はご覧の通りで、かつての旦那衆にかわって行政が古典芸能を支援しております。支援というか、ぶっちゃけ保護だわね。いまは古典ゆえの難解さが敬遠されがちで、ファン層が幅広いとはとても言えんからさ
それでも、未来へ遺すべきものだから、破壊してしまうわけにはいかんから、支援・保護しとるのです
まぁ欧州なんかはそういうスタイルが定番のようですが、日本では「文化は無駄メシ食い」と考えるヒトが多いせいか「大衆にウケないものに、なんで我々の税金をつぎこまねばならんのだ!」なんていう主張にあっさり乗ってしまうようです
(´・ω・`)
ヒトによっては「そんなに大事だと思うのなら、その連中だけが金を出せばいい」「サブカルの人間はみんな自腹でやってる」などと言うとります。時間軸を度外視した主張は、アホの子の言動にしか見えんがね。歴史を学ばないというのはこういうことなのか、と思うてしまいますわ
ただし、一部のマニアのみを対象としてしまってる(そうなってしまってる)現状は、文楽側も問題として扱わなければならないでしょう。弱っちい存在であっても、受け身ではイカンということです
さて、ここまでの話、元ネタはこれね
↓
■MSN産経ニュース:橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく(2012.2.25)
国政と同じく、地方自治もまた、それぞれの住民の「代表」として選出された者たちによって執り行われています。つまり、その代議員ないしは首長の行動や発言は、たとえ人気投票のような選挙でその職務に就いたのだとしても、それは「民意の反映」であるとみなされてしまうのですね
それが議会制民主主義というやつです
(´・ω・`)
いいや、自分の意志とはまったく違う!と思うのならば、声を上げていかねばなりません。黙っているということは、首長や代議員がどれだけ基地外発言をしようが、それを認めたことに等しいのです
文楽なんかどうなろうが関係ねぇわwwwwと思ってる諸氏は、自分事になっても同じことが言えますかね?
↓
■MSN産経ニュース:関電、電力不足対策で 計画停電の具体案を検討(2012.4.18)
地震も原発事故もなかった関西が、なぜか電力不足に陥ってるんだぜ?大阪だけが停電するんじゃなく、関西電力の圏内は全部同じことになるのですよ。他人事と笑ってる場合じゃない
WOEPライブ情報
4月22日(日)
日本橋 太陽と月
19時OPEN 1000円/要1drink
※山下聡美さんのバックでギター弾きます
※ヒーローソング祭は5月に延期されました
5月12日(土)
心斎橋 The Cellar
17時半OPEN 1500円/1drink込
※WOEPでの出演です!
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燃える男の唄
WOEP 公式website
テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済
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No title
文楽の予算削るよりも
もっと削れるもんあるやろう
ヒステリックに原発停止を訴える彼の
戦術にのってはイカン
このままではまた
劇場型選挙で悲惨な結果になる
拙者もことあるごとに
書くし言うし拡散してまいりますよ
マジで
危機感ありますわん;;;
もっと削れるもんあるやろう
ヒステリックに原発停止を訴える彼の
戦術にのってはイカン
このままではまた
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書くし言うし拡散してまいりますよ
マジで
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No title
補助金の乱脈は他にもありますもんね。
文楽とほぼ同額の補助金を得ている大阪市人権博物館なんかどうなるのでしょう?
今夏の計画停電にしても、火力が従来通り機能してくれることが前提なんですが、
すでに故障が続発しておりますので、非計画停電になる可能性もあります。
そしてハシゲにとって再稼働は「単なるカード」に過ぎません。
どんどん声を上げてまいりましょう!
文楽とほぼ同額の補助金を得ている大阪市人権博物館なんかどうなるのでしょう?
今夏の計画停電にしても、火力が従来通り機能してくれることが前提なんですが、
すでに故障が続発しておりますので、非計画停電になる可能性もあります。
そしてハシゲにとって再稼働は「単なるカード」に過ぎません。
どんどん声を上げてまいりましょう!
ちなみにイタリアでは……う~~ん…ヽ(-ω-;)√
>キチガイ「政府が美術館に金をくれないなら、美術品を1つず燃やしていく。 まずひとーつ!!!!」 http://logsoku.com/r/poverty/1334818390/
>キチガイ「政府が美術館に金をくれないなら、美術品を1つず燃やしていく。 まずひとーつ!!!!」 http://logsoku.com/r/poverty/1334818390/
No title
ひぇ〜基地外すぎますわ
美術品が泣く〜
(´;ω;`)
美術品が泣く〜
(´;ω;`)