高潔
平素は始業時間のかなり前から、自社周辺の掃き掃除をしております。基本的には落ち葉の清掃なんですけど、それ以外のゴミの方が多いですね
タバコの吸い殻や空き缶、ペットボトルやビラは常連さんで、酷いのになると食いかけのおにぎりが落ちてたり、掃除してる横で捨てていくヤツもいてます。そういうのを見る度に「民度ねぇ……」となってしまうのですわ
(´・ω・`)
たしかに諸外国と比べると、日本人の平均民度は高いと思います。しかし、そりゃあくまでも平均の話で、素晴らしい人もいれば、どうしようもないクズみてぇなヤツもいるのが現実ですね
一部の新保守層の中には「日本人至上論者」みたいなヒトもおりますが、日本人だからって、みんながみんな高潔なわけじゃないですよ。しょうもない理想化は目を曇らせるだけっす
昔はよかった、わけでもありません。クズはどの時代にもおりました。まぁ時代によって価値観は違いましょうけども、クズは日陰者として生きよという暗黙の了解めいたものがあり、目立たなかっただけやと思います
それが「反発するオレってかっこいい」「ルールとかマナーとか上等でええやん」な考え方が蔓延し、とりわけ近年までのメディアによる不良礼賛がそれに拍車をかけ、クズが表に出てきてしまったという次第
グローバリズム()やら利益至上主義やら、あげくに民主党政権もあって、日本国内の信義則(信義誠実の原則)は、ずいぶん破壊されてしまったような気がします。相互に相手方の信頼を裏切らないよう行動すべきとかね、民度が高いはずの日本においても絵空事になりつつあるような
もちろん、ルールやマナーにガチガチに縛られるのもどうかとは思いますが、それらを守るという基本があってこその話だからね。破壊者を容認する風潮には注意せにゃなりませんて
てなことを書きますと「団塊の世代ガー」「日教組ガー」と言われるかもしれません。まぁ彼らにも一因はあるとしても、それがすべてじゃないと思うのです
水は低きに流れの例えのように、人間ってのは楽な方に流れたがります。ルールやマナーに依存せず、主体的に守っていくというのは、実は結構難しいのですね。難しいことは面倒くさい、だから避けたい。そういう傾向もあったんじゃないでしょうか
団塊ガー日教組ガーは、その前提として「自分達は本当は高潔なのに、騙されてきたかわいそうなヒトなんだ」という被害者意識があり、それがゆえに問題や責任の所在を単純化してるんとちゃいますか。リベラル連中()の「自民ガー」とあんまり変わらないっすよ
高潔と呼ばれたいのなら(そんなヒトがいるかどうかは置いといて)、高潔に生きてこそじゃないかなぁ。少なくとも批判してる相手と同じことしてちゃダメだよね
国家論も大事だけど、まずは自分の足元からね
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燃える男の唄
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