フラクタルな世界
一度でも経験したことがあるならわかるでしょうが、複数の人間で何か1つのことをやろうとすると、なかなか自分が思うように事が進まなかったりします
バンドもそうですし、少人数での仕事のプロジェクトや何かのイベント事でもそう。スムースに動くことは極めて稀ですね
たいていの場合、意見の食い違いや温度差があります。建設的な意見の交換ならエエんですが、単にケチをつけたいだけの者がいたり、対案を出すのではなく「やりたくないからそれはやらない」という困ったちゃんもおります
一方で、スムースに動くような時は、メンバーやスタッフの意識が高くて価値観が共有されているか、あるいは1人のメンバーやリーダーに丸投げしているかのどちらかです
後者の場合、そのメンバーやリーダーに全幅の信頼をおいて任せてることもあるでしょうが、信頼うんぬんではなく、やるのが面倒くさいから、考えるのが億劫だからと、1人に押し付けてるケースも少なくありません
ここまで読んで自分の職場を連想した方もいるかもしれませんな。まぁ世の中、いろいろですわ
そういう困ったちゃんやら無責任さん達とともに事を前に進めていこうとなると、これはもう大変な労力を要します。調整調整また調整。3歩進んで2歩下がる。それの繰り返しで進めていくしかありません
その際に行使されるのが「政治力」なわけです。複数の人間が集まって事を進めようとするならば、それがたとえ小さな集団であっても「政治力」が必要になるのです
その小さな集団がいくつもあって、それらが寄り集まったのが「社会」であると考えられます
つまり政治というのは、どこか違う世界に存在しているものではなく、我々の日常生活の中にもあり、そしてその集合体でもあるわけです
政治のことはよくわかんない、というヒトは、おそらく日常の中にも政治があることを認識してないんじゃないかな。日常を観察していると、政治のことはボチボチ見えてきますよ
というか、政治というても、それをやってるのは人間なんだよね。結局のところ、政治を知るということは、すなわち人間を知るということやと思うんですわ
これは経済についても同じ。主婦のみなさんの消費行動も、その集合体が国の経済活動の一部になってますし
あー、音楽にも似たようなところがあるかな。とりわけロックを含む大衆音楽では、人間を知らんことにはエエ歌詞は書けませんもんね
人間を知るということは、突き詰めて言えば「己を知る」ということでもあります
己を知ることで、他人の行動がわかり、ひいてはそれが世の中の動きを理解することに繋がるわけです。一種のフラクタルだわね
同時に、情報に対して脊髄反射する必要もなくなり、デマや飛ばしに惑わされることも減るでしょう。己を知るということは、ある意味、情報リテラシーの基本なのかもしれませんね
大きな事象を分析してみせて悦に入ってるヒトをしばしば見かけますが、その人物が果たして自分自身を知っているのか、その言動や行動からはなはだ疑問に思えることもあります。己を知らぬ者が、世の分析なんてホンマに出来るのかね?
ちなみにウチのバンドの信条は、本体サイトのプロフィールにも記載している通り「己の血の声を聞け」でしてね。まぁ巧いバンドではありませんので、基本に忠実に行こうとしてるのですわ
などと本日は散文気味でした。おしまい
■WOEP New Album
燃える男の唄
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