刹那的なネット?
やぁどうもこんばんは、anbaです。この日記をご覧ということは、あなたも(携帯からであれ)インターネットに接続したはるということですな。そんなインターネットのお話をば。
まずはこれ
■MSN産経ニュース:【正論】同志社大学教授・三木光範 ネット社会が忘れた深い楽しみ(8/23付)
教授によると、(以下わしの要約)
いまやインターネットはライフラインとも言えるほど、不可欠なものになったが、同時に刹那的・瞬間的なライフスタイルをもたらした。それらは表層的で一過性の楽しみしかない。いま必要なのは、われわれの社会には時間をかけた複雑で深い楽しみが沢山あり、そうした楽しみを覚えていくことだ。時には休肝日のように、ネットを離れてみる日があってもいいだろう
とのこと。ふむふむなるほどね、いや、おおむね同意しますよ。わしも昭和の人間なので、時間をかけて初めて得られる楽しみがあることは、理解しておりますし
しかし、ちょくっと腑に落ちん。
たとえばTwitterについて、「深く考えることより、瞬間的でインパクトのあるコメントを出す能力が重要だ。因果関係をたどる論理は不要であり、それまでの流れとは無関係で脈絡のない、しかし面白い話が珍重される」とあるんですが、
うーん、そういうユーザーもいてますけど、すべてがそうじゃないですよ。教授の言い方では、まるでアホの子だらけに思えますやんかw
それとインターネットの発達が我々の時間単位を短縮したせいで、「自分にとって有用な情報の判断基準は、長い時間をかけて深く思慮する論理ではなくなり、また、自分の五感を研ぎ澄ました感性でもなく、インターネットで表示できる文字と画像だけからの新鮮さ、奇抜さ、そして面白さだけとなる」とも言うたはるんですが、
これは明らかに間違ってます。というかネット初心者の理屈ですな。情報なんてものは、どんだけ集めようが、精査した上でないと「使えるネタ」にはならんのです
だから、理解するために「長い時間をかけて熟慮」することも多々あります。研ぎすました感性も必要になります。むしろそうしなければ、「ウソをウソと見抜けないヒトはネットを使う資格なし」になるのですわ
まぁ教授の見解には、総論賛成各論反対ってな感じなのですが、これってさ、「インターネット」を「テレビ」に置き換えても同じでしょ?
どんなメディアやツールであっても、それに対して受け身になり、流される人達はいてます。三木教授の意見は、まるですべてのネットユーザーがそうであるかのように書かれていたので、そのあたりがどうも引っかかったのです
要は、ネットに縛られるんやなく、あくまでもツールとして必要に応じて使い、基本は「現実に」自分で熟慮して行動するっていうライフスタイルを奨励、ではないんでしょうか
てか、これは当たり前のことやと思うんですけどね
■WOEP New Album
燃える男の唄
WOEP 公式website

スポンサーサイト